Wednesday, October 20

皇太子徳仁親王妃雅子

皇太子徳仁親王妃雅子(こうたいしなるひとしんのうひ まさこ、1963年12月9日 - )は、日本の皇族で、皇太子徳仁親王の妃。旧名、小和田雅子(おわだ まさこ)。身位は皇太子妃、親王妃。皇室典範における敬称は殿下。お印はハマナス。勲等は勲一等。ハーバード大学卒業。学位は経済学士(Bachelor of Arts in Economics magna cum laude)。,



略歴,

独身時代,
1963年(昭和38年)12月9日、外務省職員の小和田恆・優美子夫妻の長女として東京都港区虎ノ門病院にて誕生。幼少期をソビエト連邦・スイス連邦で過ごす。
1971年(昭和46年)3月、目黒区立原町小学校1年に編入し、同年5月に、新宿区立富久小学校2年に編入。翌年の1972年(昭和47年)4月から、田園調布雙葉小学校に編入。その後、同中学校を経て同高校に進学するも、父の仕事の関係で、ボストンへ移住。1979年(昭和54年)よりベルモントハイスクールへ通学。1981年(昭和56年)、同ハイスクール卒業。
1985年(昭和60年)6月、ハーバード大学経済学部卒業。在学中は、心身障害児の運動指導[1]やフランス語のサークルで活動する。帰国後の、1986年(昭和61年)4月に東京大学法学部に外部学士入学するが、外務公務員採用I種試験に合格し、外務省入省が決まる。この際、女性の二世外交官として複数のメディアで紹介された。
翌1987年(昭和62年)に東京大学を中退し、外務省へ入省。経済局国際機関第二課に配属された。1988年(昭和63年)から1990年(平成2年)まで外務省の研修留学として、オックスフォード大学ベリオール・カレッジに留学。
帰国後より、皇太子となった徳仁親王のお妃候補として報道される。徳仁親王との交際では鴨場でのデートなどが話題となった。,


皇太子妃時代,


成婚を記念して発行された硬貨


皇太子妃旗
1993年(平成5年)1月19日、皇室会議にて徳仁親王妃に内定。同日記者会見を行なう。同年2月をもって外務省を退職。同年4月12日の納采の儀を経て、同年6月9日に結婚の儀が行なわれた。成婚パレードには沿道に19万人の市民が集まり、テレビ中継の最高視聴率は79.9%を記録した。
1999年(平成11年)12月30日に懐妊していたものの稽留流産の手術を受けたと発表された。12月上旬に海外公務が行われた[6]こと、懐妊が早期から大々的に報道されたことが原因とされるが、特に過度の報道に対して徳仁親王は遺憾の意を表明した。2001年(平成13年)4月に2度目の懐妊が発表され、同年12月1日に長女の敬宮愛子内親王が誕生。結婚から8年余りでの第一子誕生だったが、2004年(平成16年)5月、徳仁親王が訪欧を前にした記者会見で「雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と発言。海外育ちで国際派と見られていた雅子妃と、伝統と慣習に厳格な宮内庁との間で不和があることをうかがわせた。この発言は人格否定発言と呼ばれ、大きな反響を呼んだ。
2000年(平成12年)頃より、体調不良による公務や祭祀への欠席が目立つようになり、2004年(平成16年)7月に、適応障害で長期間静養している事実が公表された。以後4年余りに渡り、東宮御所における接見を除けば出席する公務は少なく、宮中祭祀も行なえる状態ではなかった。
2009年(平成21年)1月2日、「昭和天皇二十年式年祭の儀」中の「皇霊殿の儀」に、今上天皇・皇后美智子の名代として皇太子徳仁親王とともに拝礼した。2003年(平成15年)9月23日以来5年3ヶ月ぶりに、潔斎を経て平安装束を着用しての祭祀出席となった。,

年譜,
1963年(昭和38年)12月9日、東京都港区に生まれる 本籍地は新潟県村上市本町
1985年(昭和60年)6月(21歳)、ハーバード大学経済学部卒業
1986年(昭和61年)4月(22歳)、東京大学法学部に学士入学し3年に編入学
1987年(昭和62年)4月(23歳)、東京大学法学部中退 外務省入省 経済局国際機関第二課に配属されOECD担当となる
1988年(昭和63年)(24歳)、オックスフォード大学ベリオール・カレッジへ留学
1990年(平成2年)(26歳)、北米局北米二課に配属 市場開放・規制緩和を担当となる
1993年(平成5年)1月19日(29歳)、皇室会議で皇太子妃に内定
同年4月12日、納采の儀
同年6月9日、結婚の儀
皇太子徳仁親王との結婚に伴い、皇太子妃となる。
2001年(平成13年)12月1日(37歳)、敬宮愛子内親王を出産
家系,


小和田家系図
雅子 父:
小和田恆
(外務省事務次官) 祖父:
小和田毅夫
(高田市教育委員長)
祖母:
小和田静
母:
小和田優美子 祖父:
江頭豊
(チッソ会長)
祖母:
江頭寿々子,


発言,
「私に対して『皇室に入られるということには、いろいろな不安や心配がおありでしょうけれども、雅子さんのことは僕が一生全力でお守りしますから』というふうにおっしゃってくださいました」 - 皇室入りを決意させたものについて
1993年(平成5年)1月19日、婚約内定の記者会見にて
「本当に生まれてきてありがとうという気持ちで一杯になりました」 - 愛子内親王出産の際の気持ちについて
2002年(平成14年)4月2日、愛子内親王誕生の際の記者会見にて

その他,

皇室典範第23条では、敬称は「殿下」とされており、正式には「徳仁親王妃雅子殿下」であるが、実際には「雅子妃殿下」もしくは「妃殿下」と呼ばれる。 報道等では「雅子妃」や「皇太子妃雅子さま」と称されたり、単に「雅子さま」とされることもある。

脚注,



^ 「素顔の雅子さま」 主婦と生活社
^ 日本経済新聞 1986年10月6日夕刊「外交官試験 父娘2代の小和田さん」
^ FOCUS 1986年10月17日号「外交官に「清原級」ルーキー ハーバード出身小和田雅子さんの完全無欠」
^ 毎日新聞 1986年12月6日夕刊「麗しき外交官の卵」
^ MSN産経【皇室ウイークリー特別編】お写真で振り返る皇太子ご夫妻の15年
^ 12月3日~12月7日、ベルギー訪問(フィリップ王太子の結婚式に出席のため)
^ 平成12年2月21日、皇太子徳仁親王の誕生日に際する記者会見にて
^ 雅子さまもご出席 武蔵野陵と皇居で「昭和天皇二十年式年祭」
^ 新潟文化物語 - 地域文化情報




(ソース:ウィキペディア)

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